とある物書きの日常

さよならの準備が足りない。

欠けた世界の中心で

 

愛が吠えている

 

 

サイトの更新作業をやっている。尚終わりは見えない。あまりにも最近サイトを更新していないから、と手をつけたのではないのが少し悲しい。自分の作品に責任を持てない人間や、他人の作品に最低限の敬意を示せない人間が思っていたよりも多いようで辟易する。愛しているから、が免罪符になる世界、端的に言って醜い。というか単純明快にそうはならない世界であると思う。

フラッシュプレイヤーがもう死んでしまうのでいっそ、と動画倉庫を消した。いろいろ頑張ったりもしたけれど別に手元のデータが消えることもないし、もう仲間うちでつるみもしないから良いだろう、と思う。あとは虚清音内にある友人が作ってくれた動画をどうするか。今動画類はTumblrに流しているけれど、Tumblrもいつ死ぬか分からない。意外と生き延びそうだけれどどうだろうね。あまり外国の情勢に詳しくないので突然死しても驚けない。

サイト整理の一環で詩をナノくんに移植した。

https://nanos.jp/suzukure8/novel/3/

ナノくんもいつまで生きるのかよく分からないのだけれど。この間忍者が大規模なトラブル起こしててびっくりしたなあ、と思い出す。自分の使っているサーバーだっていつまで生き続けるのか分からない。

小さな頃は年齢を重ねたら自然に大人になれると思っていたのだが、当たり前のようにそれは経験に裏打ちされたもので、パーソナルスペースの取り方や会話の運び方、そういうものは残念ながら寝てて身につくものではない。今まで考えて来なかったのは偏にそんなものが身につく前にさっさと死ぬだろうと思っていた部分があるのだと思う。正直害悪存在になったら殺して欲しい。どうしてこんな生きてしまったのか、でも自分で死ぬのも今は少し違うと思う。死にたい、と自殺したい、がなかなかイコールで結ばれない。

様々なものに呆れてしまったけれども手が止まらないのが自分であるのだなあ、と小説を打っている。そういう生き物なのだなあ、と思う。元々対世界におけるルートを意識して持っていないのでそんなモンで良いのかもしれない。自分は自分が書いた作品を自分で読んでいても楽しめるし、そもそも書くことが手に馴染んでいるから、どれだけストレスがたまっていてもそういうことをするんだなあ、と思う。

今日は友人とケーキを食べにいく。

こんな人間でも友人がいるのだから、なんとも、よく分からないな、と思う。